寛永寺の徳川将軍家墓所調査:見直される大奥のイメージ
大奥の御台所(みだいどころ)らが眠る寛永寺(東京・谷中)の徳川将軍家墓所で昨年6月から行われている学術調査で、副葬品の中から頭髪やつめが発見された。調査団によると「抜け毛や切ったつめも捨てずに墓の中まで持っていくのは、皇族の風習」という。武家の“総本山”江戸城でも公家風の暮らしが営まれていたあかしとして、注目される。調査団は「DNA分析など科学の光を当て、大奥の実態に迫りたい」としている。【斉藤希史子】
調査の手が入ったのは「お裏方」と呼ばれた徳川宗家の妻子の墓、25基。17世紀から現代までの正室・側室ら69人が葬られている。改葬を機に「寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団」(名誉団長、坂誥秀一・立正大名誉教授)が組織され、先月、中間報告がなされた。
発掘された髪やつめの主は、宮家から十二代家慶にとついだ浄観院。今野春樹・統括調査員によると、皇族は伝統的に、体から離れた髪やつめを生涯保存した。他人の手に渡れば呪詛(じゅそ)を受ける恐れがあったためという。浄観院の遺物は、彼女が御所風に弔われたことの物証。幼いころ身につけた習慣を最期まで改めなかったのかもしれない。
十四代家茂の正室となった皇女和宮は「御所風の暮らしを貫くこと」を降嫁の条件とし、武家出身の前御台所・天璋院とのあつれきが生じたと伝えられる。それが「規則でがんじがらめ」という大奥のイメージを増幅させてもいるが、今野さんは調査を通じて大奥の「意外な緩やかさ」を感じたと話す。「天璋院と和宮の関係も武家と公家の衝突というより、いつの世にもある行き違いでは」。二人は後に手を携え、徳川家存続のために奔走した。
浄観院の遺体や遺物はDNA分析や食性の調査などを受ける予定。科学がどんな暮らしぶりを照らし出すか、興味深い。遺骨から割り出した彼女の身長は146センチ。推定可能な7体の平均身長は147センチだった。江戸時代の庶民女性は平均144センチで、「貴人は小柄」という常識に反する結果。ただ顔つきは復元可能な3体とも「細面で目が大きく、鼻が高い」。常識を裏切らない「貴族顔」だった。
浄観院と並んで墓の規模が大きかったのは、十三代家定の2番目の正室、澄心院。「ふすまの金具の位置(床から約1メートル)より背が低く、足をひきずって歩いた」との記録が残る。遺骨の分析で身長は推定130センチ、すねの骨や歯に極度の変形があり、成長期に病を得たことが分かった。享年は25。公家出身の正室が相次いで早世したため、家定は最後に、丈夫な武家出身者をめとったともされる。それが大河ドラマの主役「篤姫」、後の天璋院だ。「文献からはうかがい知れない大奥のタイムカプセルが、初めて開いた」と坂誥名誉団長は話している。


