広がる「手元供養」・・・亡き人 身近に感じたい(YOMIURI ONLINE)
「いつまでも一緒にいたい」「墓が遠くにあるので、そばで供養したい」。遺骨をペンダントやオブジェに納めて身近に置き、大切な人をしのぶ「手元供養」が静かに広がっている。亡き人を近くに感じ、語りかけることで、心の安らぎを得ている。
兵庫県内の男性医師(49)は、仏壇の位牌(いはい)の横に高さ12センチのお地蔵さんを置く。中には45歳で亡くなった妻の遺骨が入っている。今も二人で生活している、と感じる。
妻は長く難病と闘ってきた。昨年末、体調が急変し息を引き取った。通夜を終え、棺おけのそばで横になった。「離れたくない」。寂しさをどうすることもできなかった。妻がいなくなった家。帰る場所を失った、と思った。
年明け、東京に向かう途中で立ち寄った本屋で、偶然、NPO「手元供養協会」会長の山崎譲二さん(58)の著作を見つけた。新幹線の中で読み、遺骨を身近に置く供養の仕方に共感した。翌日、山崎さんに連絡し、経営する「博國屋(ひろくにや)」(京都市)でお地蔵さんを買った。
中のミニ骨つぼには、遺骨とともに妻の故郷、鳥取の土も少し入れた。今月、誰でも弔える家の墓にも、納骨を済ませた。
仕事を終え、家に戻る。お地蔵さんの前に座ると、落ち着く。「妻がそばにいるので、寂しいとは思いません。自分の思うような供養の仕方が見つかってよかった」。自分が死んだ時は、お地蔵さんの中の遺骨を一緒にしてもらうつもりだ。
「お父さん、一緒に来たよ」。京都府宇治市の女性(68)は今年1月、ニュージーランドに旅行した。昨年6月に亡くなった夫の遺骨が入ったペンダントを握りしめた。夫の存在を確かに感じた。
2001年、脳梗塞(こうそく)で倒れた。「子どもに負担をかけるし、墓は必要ない」と、時折口にした。娘が2人いたが、ともに長男に嫁いでいた。夫は散骨や、永代供養墓などの新聞記事を切り抜き、インターネットで手元供養を知り、資料を取り寄せていた。
女性は夫の希望通り、墓は作らず、自宅近くの寺に永代供養をお願いすることにした。娘とともにペンダントなどを選んだ。女性は「これに触れると、お父さんと一緒、と思える。これからも、いろんな所に連れていきます」と話す。夫は旅行が大好きだった。
手元供養協会は05年、関連企業7社が「新しい形の葬送文化を広げよう」と設け、全国で展覧会を開き、関連商品を販売している。山崎さんによると、購入の主な理由は、孤独感や寂しさから遺骨を手放せない場合と、「墓が遠く、お参りに行けない」「子どもに墓の購入、維持で負担をかけたくない」などと考えるケースという。散骨と組み合わせる人もいる。
手元供養品は遺骨をどう扱うかで、納骨型と加工型に分かれる。納骨型には、ガラス製ミニ骨つぼやハートや十字架の形をしたペンダントなどがあり、加工型には遺灰に含まれる炭素成分を利用して作るダイヤモンドなどがある。
山崎さんにとって手元供養の原点は、03年に郷里、松山市で亡くなった父親への思いだ。お地蔵さんは自ら発案したもので、毎朝、たばこを供える。「おやじと話をして元気をもらっている。手元供養はグリーフケア(悲しみのケア)につながる」という。
大阪府松原市には、協会の商品を中心に約150種類をそろえている手元供養専門店「方丈」がある。インターネットでの販売のほか、月に10組程度(予約制)が訪れて、熱心に供養品を選んでいる。
現代の葬送事情に詳しい第一生命経済研究所主任研究員の小谷みどりさんは「家墓と違い、手元供養は亡くなった人個人に対する愛慕心からなるもので、継承はされない。地方から都市への人口の流出や核家族化、少子化が進み、お墓や仏壇は身近なものではなくなりつつある。しかし、大切な人を失った時の悲しみ、手を合わせたいという自然な思いは、いつの時代にもあり、手元供養が一つの受け皿になっている」と話す。
文・古岡三枝子
YOMIURI ONLINE(2008年02月27日)


