「これやったら、自宅で葬式を出してもいい」



当事者になることの意味と意義

 ぼくの祖母が亡くなったのは今から20年ほど前のことになります。今回、隣保(これについては前回を)で行われたお葬式の葬儀委員長を務めつつ、当時のことを思い出していました。祖母の葬儀も自宅葬でした。あの頃、何も気づかずにいたぼくでしたが、その裏では多くの地区の人が支えてくれていたのだったろうと、遠い日の面影を追っていたのです。でも、思い出はおぼろで、式がどのように進められていったのか、定かに思い起こすことはできません。


 そんな中にも、ところどころに鮮明なシーンがあります。思い出というのは不思議なものですね、決して重要な箇所ではなく、あるいはつとめて覚えておこうと思ったわけでもない、そんな些細な場面が、妙にくっきり思い出せたりします(あなたもそんな一場面をお持ちじゃないでしょうか)。

 たとえばそれは、土をかけるショベルを手にした近所のおじさんの姿です(当時は土葬でした)。棺を穴に降ろし、親族それぞれが土をかける、その後本格的に埋める作業をしてくれた知り合いのおじさんの顔。おそらくは長く子方さんとしてお世話いただいた方だったからでしょう、最後もこうして送り出してくれていると感謝の気持ちがありました(今にして思えばそれがその方の「役」だったということかもしれません)。

 葬儀の姿も変わりました。今では、自宅から墓地まで棺を担いで葬送の列を作ることはありません。自宅から火葬場まで親族だけが車で向います。名残といえば、式当日の朝、葬儀を担当される会社の方から「四本旗の役付はどうしますか」と尋ねられて困りました。

命令系統がなくても、個の積み重ねで話は進む

 近所のおじさんに確認すると、区長と農会長にしておくといいとのこと。四本旗というのは、葬列の先頭を行く旗で、今では実際に先導することはないものの、役付だけは風習として残っているということです(なお、区長と農会長というのは自治会の役員で、ここに会計を加えて地区の三役といいます)。

 話が前後しました。式前日の準備では、竹を切り出してこの四本旗を作り、共同墓地から借りた花篭や灯篭と並べて、お葬式を出す家の前に立てます。公民館からは参列者用のテントと椅子を持ち出し、法要の様子をうかがえる近くの畦に設置。また、告別式の案内を書いて地区内の掲示板に貼って回ります。

 その他、こまごましたことがあったのですが、ぼく自身、全容を把握しきれませんでした。最初に打ち合わせをしようとしたところ、お年寄りが「そんなことしとったら終わらん、はよかからな」とおっしゃって、けっきょくはその場その場の作業になったから。

 これは今あなたに手紙を書きつつ気づいたのですが、あの時ぼくは、そうした進め方が場当たりに思えて落ち着かなかったのですが、もしかすると組織論の弊害にとらわれていたかもしれません。

 定年後にボランティア組織に加わった人が戸惑うことのひとつに、自分の意思で積極的に行動しなくてはいけないことがあるといいますよね。会社では命令系統に従って働いていたのを、ボランティア型の組織では、自発性が求められる。もしかすると地域の活動は、この自発型の進め方に近いのかもしれません。

 葬儀委員長向けの手引きはなかったと前回書きました。地域活動には形式化されたものが少なく、ということは、ノウハウや知恵は個々の人々に蓄積されている場合が多いわけです。そういう意味では、個々の人たちが自発的に行動し、最終的に全体がまとまればよいというのは、現状に即した方法なのです。全容を把握しようと頭で入るより、身体で覚えよということかもしれません。

タイムスケジュールを貼ってみた

 もうひとつおもしろいのは、近年「創発」っていう現象が注目されていますよね。それとの関連です。創発の代表例としては、蟻塚があげられます。個々の蟻は自由に動いているのに、全体としては単にそれを積み上げた以上の性質を生み出している。こういう現象を創発といいます。

 今回の葬儀が創発の場というわけではありせんが、お葬式のように形式ばっているはずのものでさえ、中央での統率型ではなく個々の知恵と自発で運営される(一面もある)。これは、地域あるいは組織の運営論として、ちょっとおもしろいなあと思います。

 こうして前日の準備は整い、夕刻には解散となりました。明日は各家二人の出役をお願いして、葬儀を支えることになります。帰宅したぼくは、翌日の隣保内の出席者の一覧に各々の役割を振り、タイムスケジュールを整理して打ち出しました。 裏方が詰める場の壁に貼っておくのです。こちらは典型的な形式化ですが、葬儀を手伝うのは今回初めてという人も多く、この用紙は好評でした。自発性と、形式化と。人が減っていく中で、地域文化を受け継いでいく知恵を模索しているのが現在なのかもしれません。

生産消費者として

 当日の朝は、日の出前に始まりました。鐘をたたいて近隣を回り、葬儀があることを知らせなくてはならないからです。

 もっとも狭い集落のこと、葬儀のことはすでに知れ渡っています。合理性を考えれば、鐘つきに意味があるのかどうか。それを感じていたせいでしょうか、夜明け前の静けさのなか、自分が百五十年前のこの地を歩いていると想像しながら鐘をうって回りました。人工音の少ない江戸時代なら、この音はどのように里に響いたろう。それぞれの民家の屋根の下では、どのように聞かれただろう。気持ちが洗われるひとときでした。

 さて、当日の式の様子については、多くは書かないでおきましょう。ぼくたち裏方は、お茶をわかしたり、届けられたお弁当を当家に持参したり、参列者の車を誘導したり、お寺までお布施を届けに行ったり、香典場で受付をしたり。そうした中で、ひとつ今回から大きな改革をしたことを書き留めておきます。

 それは、葬儀後の飲食をやめたということ。当家の主人は「うちがやめたというのも」と難色を示されたのですが、今回のことがある前から、そろそろ止めないかと声が出ていたこともあり、あらかじめ決まっていたこととして、ご納得いただきました。食事が無いということは、炊き出しがいらないということです。これまで裏方(特に女性)の多くはこの炊き出しで時間をとっていたそうですから、それが無くなった今回は、ずいぶんのんびりしていました。終了後、火葬場から戻ってこられる遺族を待ちつつ、菓子類をつまんで軽く酌み交わした程度です。

残せたもの、つながったもの

 その場を眺めつつ、ぼくは「生産消費者(プロシューマー)」という言葉を思い出していました。最近、インターネットなどを利用して消費者の声を集めて行う商品開発が注目されていますが、本来ぼくたちはみんな生産消費者でした。今回の葬儀も、一部に生産消費の部分が残っている、残すことができたともいえる。

 その場にいて思うのは、生産消費の場は、確実に各家の距離を縮めたということです。最近この隣保にIターンして入られた世帯も、夫婦でいらしてみんなと談笑している。ともに「生産」しつつ築く関係は、単に「消費」しつつ築く関係とは、濃さが違うように思います。

 当家の方が帰ってこられました。長かった一日も終わりです。解散にあたって、ひとりの老人が、こんなことを言ってくれました。

「家で出すゆうたらたいへんという印象やったけど、これやったら、みんな家で出してもいいと思たんやないやろか」

 その場の一同が、うなずきました。ぼくはまた少し、この地域を好きになったように思います。


出典元:NBonline(2007/10/29)





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