日本初のホームレスのホスピスケア施設を運営(NIKKEI NET)
日本初のホームレスのホスピスケア施設を運営
――NPO法人山谷・すみだリバーサイド支援機構理事・山本美恵さん
日雇い労働者の街として知られる東京・山谷地区。住民に高齢化の波が押し寄せるこの一角に、身寄りのない人たちを迎え入れる日本初のホスピスケア施設「きぼうのいえ」がある。運営するのは、NPO法人「山谷・すみだリバーサイド支援機構」。理事の山本美恵さんが02年、夫とともに設立した。
山本さんは高校生時代に友人を亡くした経験をきっかけに、看護専門学校に進学。専門病院、クリニックを経て、失恋を契機に「今だからできる何かに挑戦したい」と、医学・薬学系出版社の事務職に転職をする。
入社4カ月後、仕事ぶりを認められて編集部に異動になる。そこで化学月刊誌の創刊を任され、実践で編集作業を覚えた。36歳で看護系の出版社に転職、1年後に手掛けた看護学生向けの増刊号がヒット。評価を築き、充実した毎日だった。
しかし41歳の時、恋人の死という悲劇に襲われる。自殺が頭をよぎる中、必死で仕事に没頭し、人間は何のために生きるかを考え続けた。そして2年後、上智大学の社会人講座「ホスピス・ボランティア」で山本さんは、夫となる雅基さんと出会う。雅基さんは同大学神学部卒業後、NPO活動に従事。「行き場を失った人のホスピスを自分で作りたい。理念を共有できるボランティアをこの講座で見つけたい」と考えていた。思い描いていた通りの人が、山本さんだった。
01年43歳で結婚。挙式の2日後に、山谷にホスピスケア施設を建てることを二人で決断する。山本さんの貯金1000万円を元手に銀行から1億2000万円を借り入れ、土地を購入して、鉄骨4階建ての建物を建築。そこに4.7畳の個室を21室用意した。運営費は入居者の生活保護費と寄付でまかなうことに。施設運営のため山本さんは悩んだ末に出版社を退職。そして、多発性脳梗塞の元社長、認知症の元暴力団員など、福祉事務所から紹介を受けてさまざまな人たちが集まってきた。
たちまち、施設は開設直後から混乱に陥った。介護力の不足、食事メニュー、借金の返済、入居者同士のトラブルなど、二人の前には問題が山積みになったが、経理経験者、ソーシャルワーカーなどの人材を採用し、事態を収拾する。
これまでの4年間で、43人を看取った。しかし、個室は常にいっぱいで、待機者は後を絶たない。資金不足で部屋を増やす余裕がないため06年3月には、介護保険を利用したヘルパーステーション事業を開始した。簡易宿泊所の希望者にヘルパーを派遣し、「きぼうのいえ」の精神を広げるとともに、赤字と借金返済で資金繰りの厳しい施設運営の足しにしたいとも考えている。
看護の資格を軸として、看護師、編集者とキャリアを築いてきた山本さん。悲しみが降りかかっても、仕事の手を長く休めることはなかった。今、「無駄な経験は何一つなかった」と確信しているという。「入居者には最期の瞬間には『自分の人生、まんざらでもなかった』と思って旅立ってほしい。その手助けが、私の仕事です」。「山谷のマザー・テレサ」の思いだ。
出典元:NIKKEI NET(2007/8/26)


